【東日本大震災】クウェートから原油500万バーレルの原油の支援 400億円相当に

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2011年3月11日に発生した東日本大震災にて、クウェート政府から日本政府に対して、東日本大震災の被災者支援を目的とした原油の無償提供(500万バレル)の申し出があったため、経済産業省は国内石油元売会社、日本赤十字社と協議し、クウェート政府の了解を得て、石油元売会社が原油を取得し、その代金相当額を日本赤十字社において被災者支援に活用する仕組みとしました。

 

『クウェート国の東日本大震災復興への熱い支援』・季刊サラーム
–<記事抜粋>–
日本大震災から 3 年が経つ。多くの課題を残しながらもその道筋は徐々に拓かれつつある。海外からの支援金100 億円が話題となり台湾ブームを起こしたのに対し、原油 500 万バーレル(400 億円相当)という巨額の支援を行ったクウェート国についての報道は余り多くなかった。
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‘石油の一滴を’が500万バーレルに

 

2011年はクウェート独立 50 周年と湾岸戦争でのイラクからの解放 20 周年記念の年に当り、日本とクウェート間の祝賀行事が多く計画されていた。しかし3月11日の大震災により、日本での行事は取りやめとなった。
2011年、クウェート大使館主催「東日本大震災支援チャリティーバザー」が開かれた。
5月14日当日は晴天に恵まれ、港区三田のクウェート大使館敷地内は開会の午前10時までに参席者であふれた。
祷後、アルオタイビ駐日クウェート大使は開会の挨拶に立ち、「震災後スタッフの協力と本国の支持を受けて業務をつづけ、二週間前には被災地を視察した」と語った。
続いて小池百合子議員(当時自由民主党総務会長、 現自民党広報局長)は、「去る4月1日、アルオタイビ大使自ら小池事務所に来られ、日本の為に何ができるかと尋ねられた時、 ‘ 石油の一滴を ’と答えたことがクウェート国から日本への 500 万バーレル(400 億円相当)無償供与につながった」とエピソードを披瀝した。
会場から大きな拍手がおこった。

恩返しの気持ちのこもった500万バーレル

 

小溝泰義駐クウェート大使(当時の駐クウェート日本国大使、現広島平和文化センター理事長)によると「震災後、クウェート本国ではチャリティコンサートなど大変な渦が巻き起こりました。私自身はそういう人たちに、特に若い人には一人ひとりお礼を申し上げました。結果的に2カ月で 1000 人以上のクウェートの方々にお会いしたと思います」と語っている。
小池議員が答えた ‘ 石油の一滴を ’ の話が大使を通しクウェート本国に伝わったのは間違いないと思われるが、500 万バーレルを決断したのはクウェート首長ご自身である。
小溝前大使は「500 万バーレルの原油無償提供は当時の日本円で 400 億円相当です。台湾が一番多くの義捐金を提供してくれた言われていますが、総額 100 億円です。湾岸地域の中での一番の兄貴分はサウジアラビアです。そこで普通サウジが 10 出したなら、クウェートとかオマーンとかUAEとかカタールとかはせいぜい6か7を出すのが礼儀なのです。ところが今回クウェートはサウジアラビアより 20 倍以上出してくれました」
「これはイラクに侵攻された時に日本が 130 億ドルを援助したことに対する恩返しの気持からです。大使に赴任しますと天皇陛下からもらった信任状を相手の国の元首にお渡しする儀式があります。その時間は通訳を入れて10 分ですから実質は 5 分です。その中でサバーハ殿下は『日本に対する恩義は決して忘れておりません。イラクのクウェート侵攻の時には 130 億ドルもの援助をして下さった。これに対しては必ず恩返しをします』とおっしゃいました。
その後大震災が起こった時に、首長の音頭によって500 万バーレル無償供与の提案が為されたのです。任期終了時、私は直接首長にこのことのお礼を申し上げました。すると時の外務大臣が『日本が大変な目に合っていることは確かですけれど、クウェートにとっても大変なことでした。石油をあげるということで政権が倒れるかもしれないのです。過去何回も倒れました。それだけ政権にとってリスクがあるということです。クウェートは豊かな国ではありますが国家資源の9割位は石油で歳入の多角化はなかなかできないでいるのです。つまりクウェートには石油しかないのです。いわば “ なけなしの原油 ” なのです。ちゃんと使わなかった事によって政権が何回も倒れたのです。それで決定まで一か月かかりました。しかし最後は首長自らが決定を下しました。議会は日本にあげるなら反対しないと言ったのです。』と言う話を証してくださいました」
クウェート政府はサバーハ首長の命に基づき 2011 年4 月、「原油 500 万バーレル無償提供」の意向を表明しました。
–<ここまで>–
また、日本・クウェート友好議員連盟会長である小池百合子衆議院議員は日本とクウェートの連携の重要性を説いていました。

『小池百合子のMOTTAINAI「両国に必ずプラスとなる日本とクウェートの連携」』・TOKYO HEADLINE

–<記事引用>–

東日本大震災から3年。

 

今年も3月11日に天皇・皇后両陛下のご臨席のもと、三周年追悼式がしめやかに行われました。被災地を代表しての、3名のご遺族の弔辞は、壮絶な内容ながらも、静かに、淡々としたもので、それが、かえって会場の涙を誘っていました。

 

民主党政権下で行われた1年目の追悼式では、皇室のお迎えもおざなりでした。外交団による指名献花では、200億円にも上る巨額な被災地支援を国民規模で行ってくれた台湾の代表者が外されるなど、問題が相次ぎました。

 

3回目の追悼式は学習効果というよりは、安倍政権の細かな気配りが随所に見えました。皇室のお迎えも自然と起立で行われ、外交団などの献花も、大使を務めた期間順と、整然としたものでした。

 

特に目を引いたのが、クウェートの議員団による献花が行われたことです。4名の国民議会議員が長い民族衣装に身を包み、献花をするさまは迫力がありました。

 

クウェートは東日本大震災発生後、もっとも多額な支援を寄せてくれた国です。中身は原油500万バーレルの贈与や三陸鉄道南リアス線への車両3台など、太っ腹なもの。原油は日本全体の原油消費量の2日分、約400億円に相当します。台湾の支援額の倍にあたります。

 

おりしもクウェート・日本友好議員連盟の皆さんが議員交流のために来日されていたことから、追悼式への出席が叶いました。50年以上の友好関係にあるクウェートの対日支援について、日本国内はもとより、クウェート国内でもあらためて認識してほしいものです。

 

クウェートと日本の共通項は70〜80年代末ごろにかけ、それぞれの地域で光り輝いていたことです。クウェートは湾岸アラブ諸国でもいち早く開発が行われ、おしゃれな店やレストランが軒を並べるなど、憧れの国ではありました。政治が安定し、経済も順調、社会も活発でしたが、イラク・イラン戦争、湾岸戦争と地政学上も不安定になりました。いち早く民主化したものの、頻繁に選挙や内閣改造が行われ、首相や大臣がころころ替わる。産油国のクウェートで石油大臣 の椅子が何か月も空席であったことも幾度かありました。

 

クウェートの内なる戦いが続いている間に、まわりのアラブ首長国連邦(アブダビ、ドバイ)やカタールなどがスイスイと追い抜いていったということでしょうか。

 

両国の議員連盟(日本側会長は小池)として、お互いにもう一度光り輝く国になるために、しっかり連携してくこととしました。

 

けっこういいコンビになるかもしれません。

–<ここまで>–
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